「愛はどこにあるの?」
目に見えない問題が私の人生を破壊し
その修復のための半生でした。
◉ 父親との不仲(暴力)
◉ 離婚の痛手
◉ 女性としての劣等感
◉ 母親との無自覚な共依存
◉ 仕事のトラブル
一見、うまくいっているように
はた目に映っていたときほど
私の心は乾いていました。
何かが違う。
「いや、贅沢だ。足るを知れ」
と、やまほど自分に言い聞かせても
虚しさから逃れられません。
飢えを満たそうとして、さまよいました。
出口を求めて、すがろうとしました。
目に見えないものの使い手の元にも
答えを求めて
時には海をも越えて、放浪しました。
それがしだいにはエスカレートして・・・
◉ 依存症
(恋愛・アルコール→占い・マッサージ・買い物)
◉ お金のトラブル
に変わっていきます。
それらは衝動の域でした。
魂とあまりにもズレた生き方を選び続けて
自分らしさを損ない
無意識りの傷つきが極まったからこその
魂からの反撃でした。
*
なぜこのような展開になるのか?
究極的には
宿命の個性のタネに描かれた
シナリオ通りではあったのですが
問題は、<陰転>していたことです。
おまけに
<心が弱い>状態であったことも
拍車をかけました。
★ 宿命にあった環境
★ 宿命にあった心の器
これが<開運>の奥義ですが
このどちらも私にはありませんでした。
*
核家族下で、両親の葛藤状態により
機能不全家族であったことが
心の発達障害状態を招きましたが
(パニック障害的、多動症的、ADHD的)
本人は、無自覚。
理性的で健全な自意識と思って成長したので
「心のケア」は何もせず
真反対の生き方をしていました。
「お利口さん」と学校の先生などからは見なされ
それが逆に問題を助長しているとは
誰もわかりませんでした。
私自身、いたって無邪気でした。
ただ、時々自分らしさを解放しようとすると
家族から否定的な言葉をなげかけられ
違和感を覚えながらも
それに合わせることしか判断がつかず
それにともない
自己否定的な心が育ちました。
19歳を過ぎた頃から
心の歪みが現実でのトラブルとして
じょじょに顕在化しました。
<心の問題>
>自己愛性人格障害気質
>境界性人格障害気質
>統合失調症気質
>過食症
>依存症
これらをクリアして<健全な心の器>を作り直すのに
5~6年かかりました。
依存症に関しては、筋金入りです。
振り回されること25年。
意識的にケアをし始めてからも10年を費やしました。
<解決への道>
カギとなったのは
守りは堅く、内面は柔らかであり続ける
「心の器づくり」でした。
自分を適切に写し返す専門家との対話を抜きに
自己追求は語れません。
鏡に姿を映さなければ
自分の顔を見ることができないのと
いっしょです。
人生の壁や違和感を覚えるたび
自己理解と自己認識の調整のため
対人援助職者のサポートを活用しました。
頑健な肉体を養うのに筋トレをはじめとする
日々の鍛錬が不可欠であるのと同じように
この作業を通じて、得たのは
理不尽な運命や人間関係にも
立ち向かうことのできるタフさと
それらをも大きな愛で受け止めることができるだけの
懐の深さと広さでした。
ここへさらに「いかなる理不尽な因果(カルマ)」が
自分のパターン(タネ)にあるのかの自覚を磨きました。
<もっとも私らしい現実の形と精神の動き>の
獲得に励みました。
<本質>に抗いたい
<小さな自我>の叫び(壁・ブロック)も
丁寧に噛み砕いて受容し、浄化(整理)しました。
このようにしながら少しずつ
三次元の法則に当てはまらない、不合理な
魂の動きに従うようになっていきました。
EX:
◆ 未来を夢見ても
積み上げた結果を足場にしようとしても
破綻しか発生しないパターン
👉今ここの足元だけを見つめて未来も過去も見ず
都度都度対処して前進するのが
自分らしいと受け入れることで対応。
◆ 社会や体制と関わろうとすれば
傷つきしか展開されないというパターン
👉現実的な社会よりも
精神的な世界に命の注ぎ口があることを受け入れて
独自の世界を開拓し続けるために
時間を紡ぐ決意を持って統合。
◆ 目に見えない非合理的なものを追いかけているときだけ
スムースに現実が流れるパターン
👉上述◆2点を実行することで一致する。
◆ 人間関係を当たり障りなく
普通に展開しているつもりでも
破綻の結末しかないパターン
👉人間関係を意識しなくても生きられる
環境に身をおいて適合させる。
etc.
ジクソーパズルのピースを
一つずつ手繰り寄せるように
「<私>という存在の枠(境界線・輪郭)」を
明らかにする自己追究により
トラブルパターンのあれやこれやを克服しました。
<個性のタネ>にマッチした
最も自分らしいスタイルを完成させたことで
「コンコンとほとばしる泉」のように
同じような苦しみにもがく人のために役立つ
言葉を汲み上げる生活に至った次第です。
地道ではあるものの
無意識的な行動を中心とした生活であるため
この上なくナチュラルで滑らかな時の流れの連続です。
それは同時に
今ここの体の声に耳を澄ますレベルから、魂の根っこ、
個性の種の形に従うレベルまで
「想像する私を超える私」を
多様に受け入れることでもありましたーーー
人によっては「本質に還る」「愛への帰還」ともいいます。
振り返れば、過去の軌跡は
自分のタネの動きの通りに展開されただけだったのです。
運命が<陰転>した大きな理由をあげるなら
「自分の性分を知らなかったせい。
自分のタネにフィットしない生き方をしていた」
ことがいちばんです。
少しずつ生来の自己の価値観を手放し
おのれのタネにフィットする生き方を再構築したことで
(当初の私からすれば予想外ですが)
腹の底からの安定感を手にし
充実感とともに歩むことができるようになりました。
そして・・・
「愛はいつも私とともにあり
今ここの大地の上に立つ足元にこそある」
そう感じられるようになり
悲願を達成した時
私に愛を注いでくれている人の
顔が見えるようになったのです。
*
*
*
愛への帰還。
それはシンデレラのガラスの靴探しに似ています。
ご縁あってこのサイトをご覧くださっている
あなた様にもその秘密の旅路をご案内できることを
真心よりお待ちしております。
→ご利用の手順はこちら
→当サイトの歩き方はこちら
→メインサービスについてはこちら
→お問合せ・ご連絡フォームはこちら